今までを振り返ってみた
田中和美先生からバトンをいただいた、このような貴重な機会。ごく平凡な医師が何を書けるのかとも思いましたが、今までどんなことを思って医師という仕事と並走してきたのか振り返ってみる事にしました。
小学生の時、アフリカで医師として奔走している方の本を読み自分もやりたいと思ったのが始まりでした。ヒーローに憧れるような感覚に近かったのかもしれません。大学では競技スキーに明け暮れながら、大学の難民医療フィールドワークでフィリピンへ行きマニラ大学の医学生とマラリア流行未開地域に入り山岳民族と交流しながら公衆衛生の重要性を伝えたり、インドネシアの環境保全に取り組むNGOのボランティアに応募し1ヶ月間現地の家で生活しながら低コスト住宅を建てたりと何か一歩を始めたい、始めなければともがいていた気がします。そのような思いを実現させるためにもまずは医師として経験を積むことが必要です。平成12年に大学を卒業しました。何科に進もうかと迷いましたが、最もこうしたい、こうなれたらと希望を持って想像できた外科医になる事にしました。外科医である父が、それまで私にこうしなさいといったことはありませんでしたが、ただ一言、外科はその人の最後までみる科だよ、大変だよ、と心配をしてくれたことを思い出します。でもそれは、乳腺外科医として働く今、そういった心構えを持ってのぞむべき職業だと教えてくれていたんだ、と実感しています。その後、結婚し3人の子を出産しました。子育てをしながら最初の3年間はひたすら外来で乳腺・甲状腺の診察を学び、その後手術、病棟患者さんを受け持たせていただくこととなりました。研修医後すぐに一人目を出産したので、外科手技などの習得に焦りを感じ必死でした。一方、子供は突然熱を出すし、共有したい子供との時間もあるし、これまたがむしゃらにやってきたな、と思います。サポーターさんや母の力を借り、何より夫の協力を得て、そして先輩や同僚の先生方には多大なるご配慮をいただきながら、何とか子供が育ってきた気がします。そしてまだその途中ではありますが。こう考えると、最初の志は何処へ、という気もしてお恥ずかしい限りですが、どのステージにおいても自ら選んだ仕事を軸に形を変えながらも自分なりに歩んできたかな、と勝手に思うことといたします。患者さんが思い描かない治療を強いていなかったか、病気と向き合えるように真剣に寄り添えたか、自問自答しながら日々精進です。