ハイよろこんで。

 24歳3ヶ月で医師になった私は、周りに助けられ先輩をお手本として、医業・育児に専念しておりました。転機は50歳の頃、アメリカ医師会初女性会長の講演を日本医師会館で聞いてからです。ナンシー・ディッキー会長は、女性医師が成功するための6つの条件を挙げていました。

1、ユーモアのセンスを持つこと。
2、努力、まずやる気を起こすこと。
3、壁を打ち破ること、ひるんではならない。
4、この道は楽ではないことを覚悟すること。
5、スタミナを持つこと、諦めずに根気よくやるために。
6、席が空いたら手をあげること、まず地位を獲得しなさい。考えるのは後からでも良い。

 これらの事は自分の人生を変えることになるかもしれないが。

 人に背を押されて、「ハイ」と手を上げて私の人生は随分変わりました。前橋市医師会100年目の初女性理事、初女性副会長、日本女医会理事、群馬県女医会長、群馬県医師会監事、前橋ロータリークラブ50年目の初女性会員、初女性クラブ会長、国際ロータリー第2840地区初女性ガバナー等。名刺をいくつも持ちました。昨年は、県医師会から推薦されて、春の叙勲「瑞宝双光章」を受章し天皇陛下に拝謁出来ました。皇居参内前の伝達式でのエピソードですが、400人近くがホテル大広間で参列している時に、私の斜め前の受章者が突然倒れたのです。絨毯の上に寝かされて意識がありません。私は隣の受章者の方に「先生!」と背を押され、「ハイ、私は内科の医師です」と名乗りを挙げて「AED!救急車!」と指示を出し脈を診ました。間も無く救急隊により搬送されました。それから何事も無かった様に式が行なわれ皇居参内も終りました。翌日私は日常の診療に従事していたところ、文部科学省からお電話があり、人命救助のお礼と、搬送先で快方に向かわれているとの報告でした。ホテル支配人からは丁寧な礼状とリーフパイが届きました。叙勲の場で人命救助ができたのは医師冥利に尽きます。

 私は20年前からロータリー会員として国際奉仕活動をしています。クラブ会長の時、モンゴルからの群大病院整形外科留学生と知り合いました。留学生は国へ帰り大学に理学療法学科を設立しました。ところが実習器具が揃わず、学生を3ヶ月間群大へ実習に連れて来ていました。実習や診療で必要とされる医療器具、機材を揃えてモンゴル健康科学大学へ寄贈しました。今でも病院で使われています。その後今度は、モンゴルの聾学校から日本の聾教育について講演依頼があり、群大教育学部教授を中心に5人の講師団を結成し4日間モンゴル国立聾学校で集中講義を行いました。これが大好評で次はモンゴル聾学校教員10名を日本へ招聘し、1ヶ月間群大教育学科を聴講し、モンゴル語の聾教育教科書を作成しました。今でもこの教科書は改定されて使われています。

 私の愛車ランクルの4台目は今モンゴルの草原を走っています。ハイよろこんで走っています。

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