越し方、道半ば

 「女性医師リレーコラム ミネルヴァ」の寄稿機会をいただきましたことに感謝します。伊勢崎佐波医師会の原淳子です。昭和最後の年に医師になり、伊勢崎佐波の地に医療者として戻ったのは平成9年。女性のライフステージのいくつかの一つで大学病院の臨床、研究、教育現場を後にして、決してあきらめ気分ではなく、それも女医の人生選択肢と捉え、周囲の方々のご理解をいただき与えられた環境で役に立てることがあるならば、と決意してのことでした。
 父が開設する精神科病院に勤務し介護老人保健施設運営に携わりました。精神科病院といえば、地域の中ではまだ、閉鎖的隔絶された場所、であったころです。それでもなかなか先進的であった父の方針で地域に開かれた精神科病院として、地域子供会との合同夏祭りや、大型バス2台を出す患者旅行(1泊2日温泉旅行、花見、ブドウ狩り、海水浴、スキー旅行など)、地域の事業所と連携した患者就労支援など積極的に取り組んでおりました。
 患者層は青年期統合失調症、躁うつ病、アルコール依存症など年齢も20歳代から50歳代が中心でした。精神科病院に偏見もあった一方で地域事業所のご理解ご協力を得て患者就労支援、社会復帰援助に積極的に取り組んでいました。
 また介護老人保健施設といえば介護保険はまだ施行されておらず、「介護」を社会全体で担う仕組みの認知は一般にはまだ薄いものでした。しかし急速に進む高齢化と男女共同参画社会など、社会構造変化に応じたその必要性から高齢者の医療の質、内容、提供の場、は形を大きく変え、「地域包括ケアシステム」は着々と整備されてきています。
 慢性疾患を抱え地域で生活するという点では同様の「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」は、昭和時代に精神衛生法に基づき、主に民間病院が入院精神医療から地域移行まで地域のニーズに幅広く対応してきた経緯があるため、障害者自立支援法を契機に、やっと精神保健福祉法で地域援助事業者との連携が規定されその体制整備が構築されようとしています。「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉」という点では父の時代、かなりおおらかにその対応をしていたものが、これからは精神障害者の福祉増進のための法令を順守し、患者の権利を擁護しつつ、より一層精神科医療への理解を求めてゆく必要があります。
 令和2年原病院は病棟を新築し「つむぎカフェ」を開店しました。より開かれた、精神科病院を目指して。そこに新型コロナ感染症の感染拡大です。病院内クラスターも経験しました。今はロシアのウクライナ侵略による様々な弊害で病院経営は圧迫されています。この難局をいかに乗り越えるか大変な時代になってしまいましたが、地域の先生方のご指導をいただき父の遺志を継ぎ、地域で「誰もが安心して暮らして行ける」医療福祉を目指し努力惜しまず歩んでいきたいと考えています。

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